いかにして留年したか
今日から大学の後期が始まった。僕の通っている大学では4年生の後期は2ヶ月に渡る基礎研究をすることになっている。医局に入り、そこで与えられたテーマについての研究だ。僕の配属された医局はそれなりの忙しさのようで、明日も朝から検討会に参加する。
日記はこれで終わり。
前回、留年にどんなデメリットがあるかを書いたけど、そもそも僕はなんで留年したのか?っていうのを自分自身整理するためにも書いていく。
医学科は割と留年しやすい環境だ。うちの大学に限れば2年、3年が鬼門のようで毎年各学年10人前後は留年する。それに関してはいろいろ言いたいこともあるんだけど、学年の大半が普通に進級していく以上文句は言えない。
僕もご多分に漏れず2年生で留年した。ただし2回。
1回目は本当ににひどかった。前期は大学に行ってはいたもののほとんど全ての科目を落とし、前期終了時点で留年が確定していた。医学科はどれも必修なため、一科目でも落とすと留年する。年間を通して数科目までなら年度末に行われる、特別再試験を受けることで進級できることもあるのだが、僕の場合はその特別再試験を受けさせてもらえる限度を前期の時点で超えていたのだ。後期に関してはほぼ大学に行きすらしなかった。
大学をサボっていた期間何をしていたかというと、ただ麻雀して遊んでいた。その期間は学費などを納めてくれている親とも連絡を一切取らずにいたので生活費の供給がなく、お金のために打つというバカとしか言いようのないことをしていた。その生活は次の年度になるまで続いた。
改めて書いてみるとただのゴミだ。
2回目、心を入れ替えた。休まず大学に通い、前期は無事すべての科目に受かった。後期、一科目落とした。再試験、特別再試験も受けたが合格とは認めてもらえず、その一科目のためだけに留年することとなった。
ところで、どこの大学にも在学年限というものが存在する。この年数を超えると自動的に除籍になる、というものだ。他学部など普通の4年制大学だと倍の8年間、医学部だと規定年数が6年間のため12年間となる。
つまり仮に12年間通って放校となった場合、18歳で大学に入学した青年は30歳の粗大ゴミにクラスチェンジすることになる。
これでは余りにも惨いとは大学のお偉いさん、在留年限を2学年ごとに分けてくれる。2年生までを4年間、4年生までをまた4年間・・・というふうに放校までの期限を区切ってくれたのだ。
要するに、2留までは許されても3留目は許されない、そういうことである。2年生で2回留年したため僕は在学4年目にして2年生、最後の1科目が取れなければ放校、除籍、終了!という状況に追い込まれていた。
その年は精神的に酷く荒んでいた。そりゃそうだ。
僕は高3時点で完全に脳みそ天狗であり、とりあえず医師免許取っとくか~ぐらいの非常に舐め腐った動機で入学していた。(まあ大半の奴が入学時典ではこの程度の動機だと思うけど)
それが4年後、まさかの放校危機である。
その後は無事に進級を重ね、現在4年生。荒れ荒んだメンタルも回復したが人格はだいぶ変わった気がする。
このようにして僕はここから先留年しなくても、計8年間大学に通うこととなってしまったのだ。